この銘文によると、南北朝時代、北朝の至徳4年(1387)に当地の地頭であったと推定される永祐が八幡宮に寄進したものである。見島八幡宮は貞観元年(859)に宇佐から勧進したと伝えられ明治41年(1908)に客幡宮と合祀されて見島神社となった。
この鰐口は南北朝時代の優れた工芸品であり、見島のかつての繁栄を示す貴重なものである。
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