墓碑は高さ0.8m、幅0.45m、礎石からの高さ1.6mの花こう岩質の自然石で作られている。
表に「松陰二十一回猛士墓」、裏に「姓吉田氏、称寅次郎、安政六年己未十月二十七日於江戸歿、享年三十歳」と刻まれている。
万延元年(1860) 2月7日は松陰の没後百ヵ日に当たるので、生家の杉家では百ヵ忌を営み遺髪を埋めて造られたものである。墓前には、門人17名が寄進して、その名を公然と刻んだ石製水盤、花立、燈籠が供えられている。
また、この墓所には杉家、吉田家、玉木家、久坂家一族と高杉晋作などの墓が立ち並んでいる。
幕末の日本史上に影響を与えた松陰と係わりの深い人々との墓所として歴史的に重要である。
地図 google map
メールアドレスを表示させるにはJavaScriptを有効にする必要があります。