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市指定: 吉見正頼息女の墓  
執筆者: admin
発行日付: 2010/3/27
閲覧数: 1974
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●市指定史跡

よしみまさよりそくじょ はか
吉見正頼息女

指定年月日 昭和54年7月29日
所有者 宗教法人 善林寺
所在地 萩市大字高佐下
員数 1基

吉見正頼息女の墓  この墓は、高佐下禅林寺の境内に建立されている高さ1.83mの宝篋印塔である。
 石州三本松(津和野)城主吉見正頼(11代城主)が阿武郡を支配していた頃、萩の指月山の別邸と三本松城を往復する際に、この地に休憩所を設け、そこに正頼の息女を住まわせていたが、天正13年(1585)8月26日萩の指月邸において息女は病死し、遺言によりこの地へ葬ったと言い伝えられている。
 墓の銘に、「妙性院殿」、「吉見正頼息女」「萩津指月死所」「天正十三乙酉八月廿六日」とある。
 なお、「禅林寺」改号は、当初「妙性庵」から宝永2年(1705)に「妙性院」となり、後に「高徳寺(景)」「高大寺(横貝)」、を合併して「徳性寺」と改号され、昭和49年9月18日「三岳寺(後井)」を合併して「禅林寺」となる。
 戦国大名吉見正頼(11代三本松城主)は、永正10年(1513)に生まれ、天文9年(1540)兄隆頼の家督を継ぎ、大内義興の娘大宮姫を妻とした(大内義隆の義兄)。天正16年(1588)5月22日、萩指月で没した(76才)。

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