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市指定: 益田家墓所  
執筆者: admin
発行日付: 2010/3/27
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●市指定史跡

ますだけぼしょ
益田家墓所

指定年月日 昭和55年7月1日
所有者 個人
所在地 萩市大字須佐
員数 1基

益田家墓所
須佐初代領主益田家第20代元祥(牛庵)以下代々の墓があり、永年にわたる萩藩永代家老益田家の繁栄と領主としての功績の跡をしのばせるものがある。地・水・火・風・空と刻まれた形の異なった墓石が大地に立ち並び、歴代領主の墓地、また、益田時代の合葬墓としてその風格を保っている。
益田藤兼の四男、益田家第20代元祥は、毛利家の部将で石見国益田城主として6万石を領有していた。慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いで主君である毛利輝元は敗戦の将となり、徳川家康は元祥とその二男景祥を優遇しようとしたが、元祥はこれを辞退し、毛利家と運命を共にすることとしたので、毛利輝元は大いに感じ入って毛利家の永代家老とした。
旧領に近い長門国阿武郡須佐で1万2000石を受領し、萩城の築城、藩政の基礎確立に尽力し、第33代親施まで藩の政治に関与した。親施は元治元年(1864)禁門の変の責任を負い、徳山惣持院で同年11月12日、32歳を一期として国司親相、福原元 二家老とともにその生涯を閉じた。

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