広厳寺は花園山と号し、曹洞宗に属している。もとは天台宗で永享年間(1429〜40)に花園山安養寺として創建され、そのとき薬師堂を建てて薬師如来 を安置したと伝えられている。安養寺はその後、荒廃していたが、慶長9年(1604)開山一天大佐和尚により広厳寺として再建された。
像は高さ86.35cm、ヒノキ材一木造りで、左手の掌の上に薬壷をのせ、膝は横木を剥ぎ内刳を施している。以前は、肘の形からみて、阿弥佗如来であっ たと考えられる。
彩色は後世の補修の際に施されたもので、肉身部分はほとんど剥落して素地を表している。
頭部には螺髪を彫り出し、威厳のある眼の切れの美しさなど面相は優しさの中に力強さをもっている。衣文も流麗で、よく藤原期の特色をあらわしている。
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