桂太郎は、萩藩士桂與一右衛門の一子として弘化4年(1847) 萩城下の平安古に生まれ、山菜のときに川島に移り住んだ。藩校明倫館で学び、戊辰戦争では奥羽地方鎮撫総督の参謀として活躍した。明治34年(1901) 内閣総理大臣となり、以後3度にわたって組閣した。また拓殖大学の創立者としても著名である。 旧宅は、明治40年(1907) に桂が少年時代を過ごした川島の土地を買い戻して新築したものである。 主屋は木造平屋建て入母屋造り、桟瓦葺き、床面積は79.2m2である。全体を数奇屋風の意匠にまとめ、こじんまりと巧みに収めている。 庭園も建物と同じ頃に作られたもので、藍場川の水を引き入れ、池泉庭園を形成している。 本旧宅は、桂太郎が現職の総理大臣として活躍していた頃に建てられたもので、故郷に対する桂太郎の愛着が感じられ、当時を偲ぶことが出来るものとして、貴重である。
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