選定地区は橋本川に沿った東西約150m、南北約300mの範囲で、藩政期の地割りをよく残している。かつて重臣の多くは三の丸に住んでいたが、平安古・江向・土原方面の開墾が進むにつれて武家住宅もふえていった。 現在、この地域には毛利一門の右田毛利家 (16,000石余) の下屋敷をはじめ、寄組児玉家 (3,084石)、粟屋家 (691石) や大組町田家 (66石) などの屋敷跡か今も往時の面影を残している。特に幕末藩政に活躍した坪井九衛門 (157石) の旧宅は、長屋門付近から土蔵・本邸の式台・庭まわりなどによく旧状を残している。また、この地域には左右を高い土塀で囲み、見通しのきかない「鍵曲」といわれる鍵手形道路が残っている。
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